おそれいりますが。

「思想しつつ生活しつつ」。日日是好日。life goes on. 晴れ時々涙。

ChatGPTと自己効力感とTOEIC対策

チャットGPTに英語の勉強が続かないけど、どうしたら?と相談してみた。

そしたら

「続けることを目標にしてみたら?」

とのこと。

 

確かに〜〜続けてる、ってだけで自己効力感爆あがりだもんね。

 

ちなみに自己効力感、という言葉、自分の生きづらさについて色々読んでいる時に知りました。

自己肯定感と似ているけどちょっと違う。

自己肯定感は、自分が存在してもいい、ありのままで素晴らしいと思うこと。

自己効力感は、自分は何かを変えられる、自分にはできることがあると思うこと。

 

私は、自己肯定感はだいぶ上がってきた。

・コロナ禍以降の在宅勤務により、自分の好きなのんびり暮らしをやってみたことで自分の好き嫌いがはっきり理解でき、世の中の目標とされる姿を追わなくなり、自分って悪くないじゃんと思えた

・親との関係で、自分がこんなに辛いことになったのかをはっきり言葉にして書きまくった、そし自分だけのせいではなく、親とそれを取り巻く時代や環境のせいでもあったと理解でき、別に自分だって悪くないと手放しつつある

・育休前にしていた「難易度は高くないが、必要とされる仕事」を望まれる形を満たして続けたことで自分も大丈夫じゃんと思えた

 

一方で「自分が何か行動すれば変えられる」はなかなかできてこない。

これは親が、良くも悪くも自分らしさを貫いていたことに起因する。

(医療関係で、休むということを全くしない。

風邪をひいているところも見たことがないその前に対策し、そのために私もずっと風邪をひくことは体調管理ができない自分が悪いのだと思ってきた。

仕事のために生活を全て備えて生活し、色々な私のわがままは通らなかった。

その割に、職場では痛い目にあっており、左遷やストライキにあい、お酒を飲んだり、抗不安薬を飲んだりして、つまりは苦しそうであった。

また、両親ともに大病を患いつつも、仕事をフルにし、自己実現を仕事に重ねていた。

そのため、私は病人を無意識に気遣って成長してきた。

つまり、病人が休んでいる時のために静かにしたし、病人が倒れず働くことが最優先でそのためには「自分が一番だこうして欲しい」というような「子供らしさ」をしないまま大きくなった。

当時はその意識がなかったが、大人になってみて、無意識に体調不良の人の前には自分の希望を我慢する癖がついていることに気づき、理解した。

生きることのベースが「自分の希望は我慢する」でできているといえばわかりやすいだろうか。)

子の私が何を言っても親の働き方、親の苦しさは変わらなかった。

子供の自分ができることをやってみても、親は苦しそうなままだった。

それは「私が何をやっても変わらないものは変わらない」というスタンスを作ってしまった。

それが結構、

「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」という姿勢にはならず、

全てにおいてうっすら「変えられるものなどないので何やっても同じ」と思っているため、

チャレンジを回避して、できることだけしがちなんだよな。

これは結構、まずいんだよ〜〜〜

この不確実な世界で、チャレンジし、変化できることが、働ける証明なのにね

 

ということで、続けることを目指して、記録をつけながら続けてみよう。

 

独立してフリーランスになるとかイメージできず、雇われる前提。

で、雇われるとしたら、自分が得意な働き方と労働文化は外資系企業にあると思っているので、求人を見ては、やはり TOEIC700以上とあることが多いので、

その英語力の証明になるようTOEIC対策をやってます。

今これをやっています。

TOEICの世界に対するツッコミが小さく書いてあって、吹き出しながら楽しくやれてる。

息子の夜泣き対応で多様性を考える

息子が、一度19時ごろに寝ついた後、23時頃に起きて大泣きする。

目が開いても夢の中らしく、声をかけても、父母がいることも、お家であることも理解できていない目をしている。

そのまま何かに怯えるように、大泣きしたり、何かを探すように這い這いしたりする。

 

私が声をかけても止まらないのだが、

夫が声をかけると、ピタッと夢から少しさめる。

 

これがけっっこう凹む。

私の日頃の扱いが、雑だからそれが息子のストレスになっているのか?

とか考えてしまった。

 

しかし夫に聞くと、コツがあって、できるだけ「心配していない声」で声をかけるというのである。

確かに、私はパニックを起こしている息子にドキドキしながら必死で呼びかけるのに対し、

夫は明るい、遊ぶときのような声かけをしている。

 

考えてみればその通り。

多様性とは「相手の文脈で考える」「他人の靴を履いて見る」とよく言われるが、それだなあと。

 

息子の立場に立ってみると

・わけがわからなくなっていて怖い

・何か怖い夢や不安を現実だと思い込んで泣いている

のだから、それを打ち破るもの、つまり明るく楽しい何かが必要なのだ。

 

私は、自分の過去の生きづらさから、多様性のある社会を望んでいながら、

相手の文脈で理解せず、自分の考え方で他人のことを処理しがち。

息子のことも、、「泣き叫んでいる息子の立場」ではなく

「泣き叫ぶ息子を見て心配する母親の立場」の声を出していた。

 

夫、すごい。

そして凹んでないで、私もそういうふうに息子を見ていこうと思う。

 

実際、息子が23時の後の2時半の2回目に起きた時、明るい声でやってみたら、

「ふえぇ・・・」と起き上がりつつも、

すぐぱたっと寝転がってスヤ・・・

そして寝ながらでもミルクウォーマーで温めてあった液体ミルクをちゃんと飲む。

ごくごく飲んで、そのままスヤア・・・

 

今日は1回目に起きた時から「明るい声かけ」やってみようと思う!!

 

(ちなみに、ミルクウォーマーはこちら。

我が家では、ここに大人が寝る前に液体缶ミルクを入れておいて、乳首もおいておいて、

枕元だけで夜中のミルクを終わらせています。

液体ミルクはみなさんご存知こちらです。

 

私の価値観では 「精神的自立をしていないこと、幼いことはカッコ悪い」でも他人がそうでもそれをおかしいというのは違う。その人はその人の戦いをしている。オーディション番組で考えさせられたこと。

ノノガを今更みている。そこで考えたことを少し。

 

女の子達、メイクやヘアがよく似合っていて見た目は成熟して見えるのに、

喋るとものすごく幼くて、

あ、10代とか20歳そこそこってこんなだっけ、と驚く。

昔はもっと見た目も幼いから幼いものとして対応できたけど、

こんなに見た目が成熟しちゃうと、相手が子供で、守るべき相手ってこと忘れそうなるわね。

 

いやー自分もこんなだったんかな?

もうちょい大人だった気がするが。。。いやこう言い出したら老害ですね。

 

で、こんな子達が事務所と契約して候補生とかになるのか、と芸能の世界の厳しさをみる。

そりゃーいじけるし、傷つくよね。

「痛みを糧にして育つ」って、そばに良いフォローをしてくれる大人がいるか、

そもそも本人が結構大人にならないとできないと思うんだけど、

その強さを持つほど成熟してない子達に、

おそらく適切なフォローをしないまま、雑に否定を伝えているのではないかと想像した。

私はちゃんみなも、SKY-HIもBMSGも今回知っただけだから詳しくないけど、

それでも、ちゃんみなや、SKI-HIが、何を今の芸能事務所の問題と思っているのか推測できる気がした。

絶対に、若い人にとってよくない環境だな、と思った。

 

大体みんな20歳なのに幼いな、って印象があった。

数名、大人だなって思った候補者がいて、その人は作詞作曲して細々と発表していたり、

すでに自分の弱さと向き合った経験があったり。

やっぱ、自分の弱さと向き合い続ける、言葉を紡ぎ続ける、

その経験が人を成熟させるのかもしれない。

 

(私は中学生くらいから20代前半まで今でいうジャーナリングみたいなことをし続けてきていて、最近自分は妙に自分と向き合うという点に関しては、周りの人より成熟しているところもあるなと気づいたのだが、それはその効果だったかもしれない)

 

あとみんな「ママに電話して話して泣いた」って言ってて、

それが幼さの要因の一つでもあるのかもと感じた

安心できる「ママ」に頼っていて、

自分の中で戦って解決、という精神的自立はないかもねえ。

自分の内面との向き合いや、そのことでもがきながら外を模索することが少ないんだろうな、と。

 

私は、10代後半から母には何も相談しないで、

周りからどうにか答えを探そうとしていた。

と言うか、思春期なんてそんなもんだと思っていたが。

そうじゃないんだな?!とびっくりした。

 

正直、変だなー、と思った。

 

アーティストを目指すくらいだから、強い自我、親との葛藤、世間との葛藤、そういうものをガッツリ取りくんでいるのかと思ったけど、そうじゃなくて驚く。

 

自立していない印象で、それで「表現者」になれるんか?という違和感。

 

私の価値観だと、精神的自立は表現の大前提なような気がしていたので。

自分の経験や中身から出るものだから、辛いことがあった時、

ママに話すんじゃなくて、

自分と話し合って解決していくようなプロセスを持っていないと

表現に出すことも難しい気がして。

もちろん、それと「魅せる」はまた別だから、

「魅せる」を探求してきていると精神的自立は後になるのかもな。

 

自分が別で知り合ったダンスクラスの若者を見ても思うんだけど。

表現者を目指す場合、

ダンスが好きで好きで、だから目指した、

表現ってどういうことなのか、とかあんまり考えることはしなくてもいけるのかもしれない。

ダンスの「先生」がいつもいるわけだし。

「教えて」もらう人についていったまま、小学生からそのままになりやすそうな環境なのかもな。

 

一人で戦う、机での勉強とはまた別だからなあ。

そう思うと、机での勉強ってのも大事かもしれんと思った。

 

スポーツも自分との戦いだと思ってたけど

指導者にガッツリ付いちゃうのって、成長しづらいのかもしれん

成長というか自立。

我が子にダンス習わせるのも、少し後にしたほうがいいかもしれないなあ。

もしくは先生を選ばないとむずいなあ。

教えてもらうばかりではなく、自分で考えてやってみて、っていう時間があるクラスがいい。

 

で、ここまで考えたけど、

私の価値観では

「精神的自立をしていないこと、幼いことはカッコ悪い。甘すぎる」

なんだな、と。

 

で、一方で

いや、別に人がそうでもええやん

私が目指すのはそこではない、

でも、それだけ

できてない人がいたとして、その人を弾劾するのは違う

その人はその人のそこで戦っているので私がどうこういうのは失礼である

幼い、とかのジャッジもどうでもいい

「表現するなら、自分と向き合うこと、必要なんじゃない?」だけでいい

 

ということを自分に言い聞かせております。

産後に着たい服が変わった話

産後、着飾った印象のコーディネートではなく、

自然体だけれど華やか、とか

自然体だけど雰囲気がある、ようなのが良くなった。

少しラフな印象のコーディネイトといいますか。

 

赤ちゃんを産む前の私は、普段着でも地味だったりラフすぎるのは苦手。

少し派手で、都心で過ごすのに違和感がないものが好きだったので、

オフィスの服装が自由なのをいいことに、

鮮やかな花柄のニットに緑のレーススカートとか、

茶色地の水玉のチュールスカートに青のシャツ、

トマトレッドのタイトスカートに白の金ボタンカーデとか、

そういうのも着て会社に行っていた。

いつでも急に飲みに行けるコーディネイト。

体格の都合上、パンツだと地味でラフな印象になるので、好んでスカートを履いていたし。

 

それが産後は、ラフさが好きになった。

着飾る、というよりも自然体。

鮮やかなニットを着たらパンツでラフさを加えるようなコーディネイト。

スカートを履くなら、上はTシャツで、みたいな。

 

これは、赤ちゃんが、着飾るようなことと無縁だからでしょうか。

 

赤ちゃんが引き立ち、かつ自分の見た目としても好きでいられる服を選びたいと思った。

自分だけが目立つような、「おしゃれをした」印象の服はなんだかしっくりこない。

 

自分の人生の主人公であるのは間違いないのだが、

今は、赤ちゃんといるときは、赤ちゃんといてバランスの良い服を着たいと強く思った。

夫が赤ちゃんを見てくれて一人で出かける時にだけ、目一杯着飾ろうと思った。

不思議なものである。

 

具体的な変化としては、

例えば、産む前は、Tシャツは私は似合わないし、ラフな印象になりすぎて苦手だった。

が、産んだ後は、とても着たいと思った。

 

夏は、赤ちゃんが帰ってきて抱っこするようになった。

そうすると、ちょっと袖がベルスリーブになっていて、アライグマの刺繍が左胸にあるTシャツを好んで着た。

それにコットンの水玉サーキュラースカートを合わせて、足元はメッシュのスリッポン。

ちょっとデザインがあるとはいえ、Tシャツ。

素材もレースでなくコットンがとても恋しくなった。

 

秋になるとリブパンツに、コットンのフリルベスト。

長袖Tシャツにサテンスカート。

 

冬は白のたっぷりしたフィッシャーマンニットにカーキのリブパンツ。

薄ピンクのこれまたたっぷりニットに、サテンスカート。

 

産む前はたっぷりしたニットより、ジャストサイズのニットを好んで着ていたが、

部屋着にしようとしていたたっぷりニットが外出着としても活躍した。

 

赤ちゃんが1番という気持ちがすごく強いわけではないのだが

(毎日夫と交代で1人の時間を確保している)

赤ちゃんを差し置いて煌びやかなのは、違和感がある。

面白いものです。

 

また、赤ちゃんが保育園に行って、一人の大人として働く時間が増えたら、キリッとした格好に戻るのでしょうか。

 

それか、今はいっそ、2人で目一杯着飾るのはやってみたいなあ。

夫にあほなの?と言ってしまって悪かった、しかし自分にも言い分がある、が、結局夫にどうしてほしいかはわからぬ、要検討。

夫婦喧嘩。夫に思わず「あほなの?」って言ってしまいました。

彼にとってはそれは、関係断絶してもいいというレベルの罵倒だったそうで。

夫に訴えたいことがある場合はそれを説明すればよいだけで、罵倒する必要はないとのこと。

罵倒するのは私の未熟性によるもの。

まあそれはそうなので、罵倒してごめんね、未熟でごめんね、なのですが。

 

一方で、

私がなぜアホなのといってしまうくらいに、腹を立てたのか。

 

内容については、私の復職に関する面談(現在育休中)で、やんわりと「戻るのにめっちゃハードルあるよ」を言われたんですが、そのハードルって最初からわかってたんじゃないの?と夫が言った、ということです。

(私は正社員ですが、客先常駐する仕事をしており、

「戻るにはアサイン先を探す必要がある、しかし認可保育園入園確定後、入園が取り消しになる時期までに合わせて見つけるのは難しいかも、そしたら復職できないから入園は取り消しになるけど。。。でもアサイン先見つかったら即入ってもらわないとだめだから、認可外とかシッターとか探してね、」

というような話でした。

育休前には客先常駐が見つからなければ、本社内に仕事を作ることをそのときになったら相談するというようなことを言われていたのですが、今回それは限りなく可能性は低い、と言われ。なぜかというと全国総合職だから、仮に私の居住区から通える範囲で見つけられなくても会社は悪くないから。。。)

 

からしたら、育休前のそれは口約束だし、全国総合職ならそうなるのはわかってたことだし甘すぎるのでは?と

私の考えの甘さを指摘されたのだけど。

 

私にとって、

それはお前にだけは言われたくない、

どの口が言うんや

案件だったのです。

 

確かに甘く考えていた(どうせ社員だし戻れるやろ、まあ見つかるやろ、見つからんかったら転職だなあ)のもあるが、それは、ぶっちゃけいま考えても意味ないなとおもったから。

 

そして考えるのを先延ばしにしていた理由は

・夫に3年以内に転勤がありそれについていく約束で結婚している

・夫は育児休業を1ヶ月半しか取らないと言っていた

・夫は7時半〜20:30+土日どちらかは仕事 という働き方をしており、それを子育てが始まってもあまり変える気はないと言っていた(帰宅時間はがんばって19:30かな、とのこと)

・その育休をとるために、上記以上に仕事をしておりパタハラされているストレスもすごく、家で産後のことを話し合う余裕など皆無だった、少し話しをしかけたこともあったが、当時もうストレスで正常にこちらの話を聞けなくなっていた

→というものがありました。

 

「おそらく私が育児休業を2年とっている中に転勤があるから、その転勤先で常駐先を探してもらうか、ないようならばさらにその後1年育休を追加しつつ、その転勤先での転職先もしくはリモート可能な転職先を探すしかないな、そのときはワンオペ前提で探すしかないな、そしてそれはいま考えたところで、転勤先がわからないと無理だな、資格を取ったところで、リモート可能といったところで、1週間に3便しか飛行機が飛んでない離島とかになってもリモートできるんかなんてわからんし、2年の間に社会情勢も変わるし、、、」

と先延ばしていたのです。

 

そしてその話を夫にはしたはずだった。

でも、そのことは、ストレスフルな状態にあった彼には、「聞こえてはいるが頭には入っていない(よくある)」だったのです。

 

わたしが考えるのを逃げているだけかもしれない。

でも、それは夫にだけは言われたくない〜〜〜!!!

でした。

 

そして、罵倒した・されたの話になって、私が未熟でごめんという終わりになり、

結局、上記のようなことは伝わってないな。。。

罵倒してまで訴えたかったことが伝わらないという最悪パターン。

金輪際、どんなにムカついても罵倒はやめよう・・・(当たり前&なんの話?)

 

夫よ、わかっておくれ。。。

しかし、わたしはわかってもらって、夫から謝罪がほしいのだろうか?

いや違うな、「そうか、それなら考えが甘くなるのも仕方がなかったね」と考えを改めてほしいのかな。

いやーそれも違う・・・

夫がどうあれ、私はいつでも転職できるように準備をすすめておくべきだったのは間違いなくて、それをしていない自分を認めたくないだけか?

 

あっ

「まず、俺がそんなにあの育休前に負担をかけていたなんて気づいてなかった、話も聞けず、ごめん」

「そして、それゆえに考えを先延ばしにしていたのもよくわかった、そうなるのも無理はない、なのに責めてごめん」

「けど、転職の準備は進めてほしい」

というように考えを改めてほしい・・・

やっぱ謝罪がほしいのかなあ

うーん これはもう少し夫に話すまでに考えてみます。

こうなんじゃない?というのがあればよければコメントくださいませ。

子育てサークルでの失敗と考察と対策。〜自分の最適解は自分だけのものなので他人の境界は超えるな、人に対する目配りとやさしさを忘れず、外資系の職場文化は日本のママ友の場では非常識なのを自覚しなさい〜

先日、子育てサークル的なものにデビューした。

そして、自分の気遣いのできなさに、びっくりした・・・

それがなぜなのかを考察(?)して、自分のクセと向き合おうと思う。

2個エピソードがあってですね。

 

①前日までのグループLINEで余計なことを言ってしまった

自分が1人で決めたらよかっただけの、

感染対策・・・的な迷いを、LINEに出してしまった

これまた、あっさりと他人との境界を超えてしまっている(こちらの投稿)。

各自、自分が判断すればいいことだ。

そして私が不安があるなら他人に求めず、自分が参加をとりやめればよいだけのこと。

してそれに気づき、あとから謝った

でもこれは、結局のところ、謝ってアホなことをしたのを許してもらいたい、やっちまったことに気づいてますよとアピールしたい、という、自己保身でしかなかったなと思った。

謝られても、いいよとしか言いようがないのに謝ってる。

だれもいい大人同士「そうだね〜ま、次から気をつけてよね〜」とは言ってくれないよ。

一人は心配な気持ちはわかるから大丈夫というのと、気にせずに当日は来てねという趣旨のことを言ってくれて、ほっとしたけど、そのほっとするのは甘えてるだけだよねえ。

私が嫌な気持ちにさせたに違いないのを許してもらいたい、そして仲間に入れてほしい、という。。。嫌な気持ちにさせた人はふつうは仲間にあんまりしたくないものよ〜

 

一人だけ実際に会ったときに「大丈夫、みんなおとなだから自分で判断するよ☆」

と軽い調子で苦言を呈してくれた子がいて、「だよね〜ごめん〜」とあっさり返したが、

しばらく「やばい嫌なやつだと思われた、っていうかこの子怖いかも」と怖くて体が固まっていた。

しかし、よく考えれば苦言を呈してくれたほうが筋なのだ。

「なにいってんだこいつ」と思ったに違いないのだから。

それを隠しながら「いいよ〜」と実は苦笑いされてて、相手がストレスを溜めるほうが怖いよ。

・・・と思い直して、場に参加し直した。

 

(ちなみに感染対策についての迷いを口に出してしまった裏には一応理由はあるが・・・。前回の場で自分以外誰もマスクをしていなかったのでそれが怖くて、頭の奥でうっすらそれが浮かんでいた・・・

乳児、しかも呼吸器が弱めの乳児が多い集まりなのにそれか〜とびっくりした。

しかし、それも、自分の問題であり、怖いならいかない、とすべきなのだ。

他人に暗に強要するようなコメントをするものではない、と後で思った。

職場の注意喚起ではないので。

 

そこには、私のよくないクセ、自他境界が曖昧な思考回路が隠れている・・・。

そのときの正論や最適解を、自分が見出して、それは自分にとってのみの最適解なのに、きっと相手や周りにとってもそのほうがいいはずだと思い込んで、周りに対して発言し、結果的に押しつけになるという)

(知り合って間もない、そして会ったこともない人もいる、しかもグループLINEで、口に出すものではなかったと思う)

 

 

②オブザーバーとして、参加してくれた人をなぜかカウントし忘れた

6人で集まり、7人目にオブザーバーしてくれた人がいたのだが、

おやつの山分けのときになぜかカウントにいれる頭がなくて、「6つ(元々の参加者人数)に分ければ良い?」と言ってしまい、すぐにさっき苦言を呈してくれた人から「あ7人かな」とつっこんでもらった

なんか、会の途中もそういえば無意識にオブザーバーとみなしてしまって、その人に話をふったり、話したそうかどうかを見極めたりをし忘れたなあ、と。

これは、産休・育休に入り早10ヶ月、

夫と、実母、義母といった、互いに話したいときに話し、話したくなければ話さない、が通る相手としか会話しておらず、複数名の様子を見ながら話すようなことをしていないからか?と思ったのだが。自分の話したいことだけ話して終わってる日々。

あとは医療者とか、自分がお客さん側で聞いてもらえることも多い。

それももちろんある。

ただ、ふと思った。

たぶん、育休前の職場でも、あんまりこういう「自分も話したいことがいっぱいあってマシンガントークしそうになる、でも気をつけて話したそうだけど話せてない人に話を降る」みたいな場なかった気がするな・・・?

職場の月1の雑談会でも、持ち回りで幹事していたけど・・・そのときは自分にはあまり聞いてもらいたいことがないので、見回すことに終始できていた。

あとは、気遣いをするとしたら職場のランチとか飲み会だと思うのだが。

結構どの人も「話したきゃ自分から話すし、話したくなければ話さない」が定着している職場だったな、と。。。

多少は、飲み会の序盤とかは黙っている人に話を降るとかはあったかもしれないけど、

なんとなく「黙っている人は黙っていたいから黙っているはず、話したきゃ話すだろうし」という空気の職場だったのだ・・・!

「話したいけど空気を読んで話せない人がいるので、気遣って話を振る必要がある」みたいな場面がほぼなかった・・・。

会議などでは、「全員から聞くべきだがこの人から意見が出ていないので振る」という感じなので「言いたそうだからと顔色を読んで声を掛ける」ではなかったのです。

わかります?このギャップ・・・。

これ、職場が外資系だったことと関係する気がしてきた。

今まで2社とも外資だったのですが、

日本法人だから日本人しかいなかったけど、雰囲気が

「思ったことはいいましょう」「自分でいいましょう」

だったと思うんだよなあ。

もちろん愚痴とかは裏で言うけど、基本的には自分で動かなきゃお話にならないよね、が共通見解だったんよなあ。

例えば仕事量の調整とかも、

自分から「こんなにあってできないから調整してくれとマネジメントに自分で依頼する」

「上司も、下から言われてなければ、ケアしない」

で、これはランチの雑談とかもそういうふうになってくというか。

基本的に、「自分が望んでそれをやってるんでしょ」というスッキリした感じなんだよ。

でもさこれ、そういえば日本人ってあんまりこういう感じじゃないよね・・?

あと、オブザーバーってのが会議にいて、そもそもオブザーバーは会議本体には参加しないの。眺めているだけなの。そして最後に講評を述べるというか。

でもそれって、仕事じゃん!この場合のオブザーバーは意味が違う!

 

ということで、まとめます。

 

①自分の最適解は自分だけのもの、他人にそれを働きかけない!働きかけるときはよーーーく考えてから。丁寧に。言葉を尽くして対面で。not メール&LINE。

失言したときに人に許してもらおうと甘えルキ持ちはもたないこと。純粋に、嫌な気持ちにさせたことを謝るだけに留めること。

 

②言いたくっても言えない人もいる、その目配りというか優しさはいつも忘れないでわたし〜〜〜。そして外資の常識は、日本の非常識。気を付けて〜〜〜〜。

 

他人の境界を雑に超えてしまった反省と、一方で腹が立つぞとも思った話

ひさしぶりに中学からの友人と喧嘩をした。

(アラフォーになって、夫以外の人と喧嘩をするとは・・・)

内容は、

・私が彼女の相談に対し、彼女の気持ちをトレースすることなく、自分が考える彼女が悩んでいることのボトルネックはどこか、を話したことがありえない

・しかもそのボトルネックというのが、彼女がおかしいと言うように聞こえる

 

たしかに私は、彼女がなぜそれを言ってきたのか、という部分の気持ちをトレースしないで、デリケートなことに土足で乗り込むようなことをしてしまったな、と深く反省はしている。

(専業主婦で育児をがんばっている自負のある人に「育児での今回の件は、ものの見方を変えるといいのではないか」というのはめちゃくちゃ気を付けて言わなくちゃいけないことだと思う)

 

相手の価値観に触れるときは、念入りに言葉を選んで、うんと傷つけないような言い方を考えながら伝える必要がある。

それを率直に言うのは、意図的に傷つけようとしているのと同義であるのに。

私は、何年かに1回、職場の同僚に妙にムカつかれることがあるのだが、それはたぶん上記のようなことをするからなんだよな。

そもそも、自分が相手の価値観に言及できるとおもっているところも、頭が高すぎるよな〜、、、何様だという話よね。気をつけねば。

 

いっぽうで、そのまま彼女と私の発言者と受け手という役割を入れ替えたブーメランとして、

なぜこちらがそこまで踏み込んだ事を言ったのか、

それは真剣に考えてるからだ、

という気持ちの部分は受け取ってもらえないのか、それはそれで失礼ではないか?との思いもあり、それは伝えた。

 

私の考えの前提としては、

 

・人に話した以上、相手から何が返ってきてもいったんは聞いて、我が身を振り返るのが筋では?(そのあとそれはやっぱり違うと受け入れないのは自由)

・自分が話した以上、相手の反応はコントロールできるものではないだろう。

というのがある。

 

そのうえで

 

・それに相手は、形は悪かろうと、真剣に自分のために時間とエネルギーを使ってくれている

 

がある。

 

それを「自分の気持ちと違う、ひどいことを言われた、育児の経験がほとんどない私には言われたくない(私は0才児の親、彼女は小学生と幼児の親)」と怒って、相手を攻撃しはじめるのは、そっちも失礼じゃないか?

私はスタンプ1個で流してもいいことを(LINEだった、文章でやりとりしたのも失策であった)、時間を使って真面目に考えて返したのだが?

まして、芸能人にアンチコメントをするような信頼関係のない間柄の話ではないのに。

失礼をされたら失礼と言っていいのはお互いさまなので、私からも失礼だよと言っておいた。

 

まあでも、私が、丁寧に発言していれば、怒らせなかったので、鶏か卵かということで、私が気をつければいいだけのことでもある。

それはそう。ほんとうにそう!!

 

しかしそれで思ったのだが、

結局彼女は悩んでいるけど、それは要はただ疲れてるだけなのかもな、と。

 

悩みって、行動しないと永遠に悩み続けることになる。

行動するには、結局自分で整理して、自分を振り返って、自分の心の底のなにかからその悩みが出てきているということと向き合うことがどうしても必要になってくる。

相手を変えたいと願う気持ちで悩んでいたとして、その悩みは結局、自分が変わることのほうが消せる。

自分が変わればどうでもよくなったり、自分が変わることで相手の反応が変わるから、結局もともと思っていたように相手が変わってくれたりする。

子育てでも同じ。赤ちゃんだって、こちらの心境にすごく左右されてるのを実感してる。

幼児になればもっとこちらの心境がわかっていくだろう。

 

でも、自分を振り返るのって、エネルギーがいる。

疲労が蓄積しているときは絶対にできない。

 

なので、私が出す回答として正解は、

・悩んでるんだね、というか、疲れてる?なんか今までとちょっと違う感じだよ?

とだけ、言って、

・それがなんでなのかは私はあなたじゃないからわからないんだけど・・・でも今までのあなたの感じと違うってのだけはわかるよ

と、相手の境界を超えることなく、私の感じたことを伝えるに留めるのがよいのかも・・・