2007.7.8 公園で好きな人とゆっくりして、癒された満たされた、と思ったのに
うーん、ここで吐き出してもいいかわからないけど、誰に吐き出していいのかもわからないので、ちょっと最近たまっていることを書いてみます。
ああ、書けば書くほど恥ずかしくなってきた。
でも誰かに何かを言って欲しいという未熟な思いがあるので書いてみます。
もやもやと高校生みたいなことを考えています。
早ければ、自分の生計は自分で立てて、子どもがいて、それでもなんとかやれているはずの歳なのに。
疲れたから今日は何もしない、とか本に逃げる、とかそういうことできない歳かもしれないのに。
っていうかそういうことできなくなる日はきっとすぐ来るのに。
そういうことできないなんて怖いと思う自分は成熟していないだけ?
それとも単なる社会不適合者に育ってしまったのか?
それならそれで安定した保証とかそういうのは見限って社会不適合者としての生き方を模索せねば。
親は悲しみそうだなあ。
いや、単に頭でっかちに想像しすぎなだけで、思ったよりも会社で働くということは気楽なんだろうか?
疲れたら休んでいいし、そもそも責任という重石があるから疲れなんて感じにくくなるのかな?
それか逆に疲れをすごく感じるから休日はちゃんと休日として家で体力回復につとめるようになるんかな。(今みたいに遊び歩くことなく。今もそうすればいいだけの話なのかな。でもそれは今は無理ーと思ってしまう。)
自分のヘタレな部分をガツンと見てしまって、それは社会に受け入れられないのではないかと思ってしまって、私のような弱さを持った人はどうやって生計を立ててるんだろうと不思議に思ってみる。
自分だけが特殊だと思いたがる傾向は中高生の特権だと思ってたけど、いまだに私にはある。
だってどうしたって、周りのみんなみたいにざくざく私は動けないよ。
考えすぎるし、すぐ疲れたなと思ってしまう。
そしてそれが行動に出て、新聞や雑誌の「プチ鬱チェックリスト」に印がついてしまう。(プチ鬱ってなんだ!!プチ鬱って!!)
そしてそういう弱さを嘆いてるばかりではなく、鍛えようとは思うんだけども、どうやって鍛えたらいいのかわからんし。
弱いから疲れたなと思ったら、“頑張らない”ことをすぐ自分に許してしまうわけで。
やれやれ。
こんな私は大人から見たらただの甘えっこなのだろうか。
それともこんな自分でも別に大人として生きていけるんだろうか。
こんなにぐちゃぐちゃ考える暇も元気もなくなるほどボロ雑巾みたいに働かされたり、部活みたいなもので身体を強制的に酷使しなきゃいけない状態になれば、この悪癖も治るのかなあ。
でも私は強制されるのが何よりも嫌いという罠。
しろと強制されると、したいと思っていたはずのことも嫌になる。
これってタダのわがままでしょうかね。
何中学生みたいなこと言ってんでしょうね。
でも中学生みたいって思うんだけど、ほんとにそう思っちゃうのも事実です。今の歳の私が。
こんなんじゃ会社でなんか働けないよ。。。
もちろん公的機関でも働けん。
というか短時間拘束のアルバイト以外で働けん。
ああ、「自分ができない(と思い込んでる?)こと」にばっか注目しちゃうよハハハ。
いや、でも、身体の疲れで何も考えないで生きてく、っていうのは嫌だと思う自分がいる時点で、これは変えられないのか。
自分を変えるって至難の業ですよね。
同じことを繰り返し書いているけど、でもそうならざるおえないということだ。
あーでも就職のことは前期試験終わってから考えるんだった。
とりあえず留年阻止せねば。
楽しく勉強するぞ、このやろう。
こうして宣言しておいて留年したらちょっと気まずいな、という風に自分を追い込んでおこうと思う(笑