おそれいりますが。

「思想しつつ生活しつつ」。日日是好日。life goes on. 晴れ時々涙。

精神的な波の上がり下がり

精神的な不調、って、誰にでもありますよね、そういえば。


それの著しい人がいっぱいいるみたいです。まわりに。


サークルで、あまり練習に出てこない人の幾人かは[出ない」のではなく、[出れない」ようです。


精神的に落ちると、身動き取れなくなるみたい。


私もそういうところがあるので良くわかると思いますが。


それで、何が困るって、“仕事”が進まなくなることなんです。


本当にお給料をもらっている人たちからしたら、仕事といえないかもしれないけど、

大学生にとっては十分仕事と呼べる内容なのです。

誰かがやらないとサークルは動かないんです。


でも精神的な波を自分でうまく調整できない、精神的に不安定なタイプの人は、その仕事まで手が回らないことがあるのです。

そうすると、それ以外の人が、それをフォローする羽目になります。

でも、やってくれるはずだった、のに、ってとこからフォローとなると、それをやる周りの人はとても大変です。

となると、必然的に、その精神的な波を調整できない人への評価は格段に下がります。

それはビジネスライクなものでなく、「あいつマジ使えねー」というとこから始まって、それがその人格そのもの否定へ向かいがちです。


さて、この問題はどとらえたらいいのでしょうか?


私のともだちは

「(精神的に不安定なのなんて)そんなのみんなあるよ。でもさ、何とかするのが大人じゃん」

と言いました。

そうだね、それはあるね。

つまりそれができない私や彼らは未熟ってことだ。

成熟すれば、できるようになるかも!って、とても希望が持てた。


しかしだ、事実、精神的にまいってできない人がいる。

そういう人がいると、仕事が回らなくなるよね?

だけど、そういう人だって好きでそんなに精神的に不安定になるわけじゃないと思うんだ。

自分でどうにもならなくなってんだと思うんだ。

それが、未熟だとか、こころが弱いだとかってことかもしれないんだけど、でも、そうは言いたくないんだよ。

そんなのさ、できる人はできるし、できない人はできない。

甘えとか未熟さといわれようともできないもんはできない。

でもそれじゃ仕事はまわらない。

自分で波を調整できるほかの誰かが余分に仕事をやる。


だから、お給料をもらっている大人は、「仕事なのにできない」って気づいたら、割とすぐにお医者にかかるのかな。


いつもがんばっているように見せられる人はすごい。

気持ちが落ちても、自分でなんとかできるんだから。

そうなりたいと、切に思う。


でもそれができない人が切り捨てられていくのをみているのはちょっとたまらないな


切り捨てる側の人は、できない人ほどはつらくなさそうに見えるし

だけど見えないだけで、必死なのかも

切り捨てられる側の人は甘えてるようにも見えるし

自分も含め、弱いから気持ちの波に飲まれちゃうっていうか


だけどやっぱり切り捨てる側は、自分の意思でどうにかできてると思うんだ

切り捨てられる側は自分の意思ではもうどうにもならなくなってるんだ

その「自分の意思でどうにもならなくなってる」っていうのが弱いってことだろうか

強い弱い、っていうのをやめればいいのかな


事実仕事では困るしねえ

どうとらえたらいいんでしょうか


もっとおおらかにとらえたいよね

「仕事がちょっと回らなくてもそいつがしんどいならしょうがないか」

「私だってしんどいけど、そいつよりやりたいこといっぱいあるんだけど、

そいつが自分でどうしようもないならそいつだって目いっぱい苦しんでるはずだから、

そいつほどは自分が制御できない苦しみはない私がやってやるか」

みたいな?


やーそれは難しいか・・・


どうとらえたらいんでしょか

みんながベストな状態になることは難しいと思うけど・・・