焦燥感
あの人のようになりたい、とばかり思っていて、ただの真似っ子になってしまいそう
それではいつまで経っても対等にはなれない
追いつけないし追い越せない。
でも、困る。すごすぎるよ。
もっとダメな面も見たかったよ。
今のすごいとこばかりが記憶にある状態では、到底「器が違う」って思ってしまいたくなる。
私があの人と対等、いや、超えられる面ってなにかあるか?
・・・だめだ、なにもかも「ああなりたかった」っていう、憧ればっかりだ。
ぶれなさ、人の気持ちの読み取り方、その気にしなさと配慮のバランス、言うことと言わないことの判断の仕方。
事務的な情報処理力、物事に手をつけるときの「失敗」の少なさ。
これまでの経験値が違いすぎて、到底あと3年じゃ追いつけないよ。
同じ経験をしていたら、私もなれたかな?
やっぱり器が違うのかな。
でもそう言いわけして、あきらめるのなんて、まっぴらごめんだ。
なんとしてでも追いつきたいし、できるなら追い越してみたい。
それは。。。先生からの評価か?
いや、自分で「追いついた、対等だ」と思えるかどうかだろう。
でもそうすると、「あの人ならどう考えるか、私は今どう思ったか、両者の差はなにか、そして今の状況だとどちらがより賢い考えなのか」
って、ああそうか、
私は かしこく なりたいんだ。
賢い判断、考えと、自分で思えるほうを選びたいんだ。
そういう意味であの人に追いつけない、って思ってしまいそうになるんだ。
しかもあの人が教えてくれたこと、残してくれたものを糧にして、私は賢さで対等になろうとあがく。
自分で掘り出したものじゃなく。
それじゃ対等だなんて絶対に思えない!
ところで、求めているのはそれでいいのか?
かしこい、ばかり求めていいのか?
いや、今いちばんはそれを求めている。
それ以外の部分は、結構自分で満足しているんだな。
自分に似合う服を選ぶ才能とか、
自分の心地よさをひとつずつ探し出すのにこだわる程度とか、
感傷と情緒を割と愛している感性とか、
それに基づいて選ばれる音楽・絵画・書籍・映画などの生み出す空気だとか。
それらについて、もっとやっている人には憧れないんだ。
でも 賢い人 にはとてつもなく憧れるんだ。
・・・うん、それこそが真実だな。
今まで過ごした時間の濃さ、意識の深さの違いが、もうすでに人間性として出てきてしまう。
そんなに実はもう長く生きてしまったことに気づき、驚愕した。
後悔していてもだめだけど、途方に暮れるよ。
経験値の差を、「器が違う」と思ってしまいそう。そうなのかもしれないけど。
どうしたらいい?
何をしたらいい?
焦る。
でも焦ってもだめか。今目の前にあることを、自分がやろうと決めた深さまでやりきるしかない。
私が今まで過ごしてきた時間で足りなかったのはそれだ。
今、書いてて気づいたもん。
あと、なにかひとつでも自分で開拓することだ、後輩に残していけるようなものを。
さっき、ふと昔の別のブログとか、mixiとかを読み返していて、なんてひとりよがりで恥ずかしいんだろうと思ってしまった。
このブログは独りよがり前提だし、独りよがりでも聞いて欲しいと思う友人にだけ教えているし、独りよがりでもなんでもいいから言いたいと思う話題を選んでいるし、つまりかなりセレクトかけれてるから独りよがりも恥ずかしくないのだけど、
昔のmixiやブログではいつの間にか、独りよがりになってるの。
話題にしても、見せる相手にしてもフリーダム。
全員が見る場所であんなに自分の内面にばかり向いている文章を公開していたなんて。
ああ恥ずかしいようーーーーー
なんてこどもなんだろう。
独りよがり、と、他者に開かれている状態、とを常に自分で行き来しないといけないのかもしれない。
ちょうど今やっている学問がマクロとミクロを常に行き来しながら見ていくしかないのと同じように。
ああこんな時間。
でもいっそ徹夜してでも、やるところまで進んだほうが、気分がいいや。
それでへこたれそうになったら、また戻せばいいのだ。
というか、たぶん徹夜してもへこたれなかった、やりきった、という事実が欲しいのだ。
その後に大きな波が来るかもしれないけど、それはたぶん何とかできるし。
って甘いかな・・・11月くらいにそういうのできない、みたいなブログ書いた記憶あるな・・・
いや、でもつべこべ言っても、今やりたいことしかできないよね!!
やろ!(さいごは結局いつもなげやり 笑 )