自信喪失、いや、もとから自信とかなかったけど
私が、私が、、、ということしか考えられないよ
他人のために、動けるようなひとになりたかったの
でも、今の私は、自分の興味のあること、自分が精一杯やりたいこと、それしかできない
他人も同じように苦しんでいるんだと思っても、
それを自分の時間を削って、後回しにして、フォローしてあげよう、と思えない
たとえば、バイトのシフト。
入りたくない。
今、人が少なくて、なのにパートさんが1人減って、それでバイト1人あたりの負担が大きくなってる。
下級生たちは部活や授業もあって。
だけど、私はたくさんシフト表に×をつける。
だって休みも勉強しなきゃだし、少しくらい休みたい。
平日は授業も実験もしようと思うと、16:30に研究室を出なければいけない、バイトは、邪魔なの。
平日はできればバイトしたくない。
バイト終わった後、また研究室に戻って、深夜までやってるの。
それで帰ったらばたん、と寝るの。
起きて、2時間くらいで身支度と細かな家事を済ませたら、研究室に行くの。
そんなんで土日も9,5時間バイトしたら、しんどくてたまらないんだ。
それに、土日も遊んでるヒマはなくて、実験や勉強や家事をしなくちゃ!って焦っている時期なの。
だから土日も、できるだけ長いバイトはしたくないの。
・・・
うーん、自分のことばっかだ。
こんな自分いやなのになあ。
「こう在りたい自分」が大きすぎて、「現実の自分」が感じていること、をおろそかにしすぎた、って気づいた。
「こう在りたい自分」が判断するだろう判断を口にしてき続けたけど、実際に自分がなにかに出くわしたら、そんな崇高なことはまったく感じられなくて、ちっぽけでせせこましいいやな感情ばかりが生まれる。
でもそれを口にするような自分はいやだから、と、「大人」なことしかひとには言わない。
そうすると、ほんとは自分はどうなのか、がわからなくなってきた。
普段から他人に言っている自分の考え、が、いざ、自分が当事者になったら、ちっとも実践できない。
感情がものすごく渦巻いて、その理性的な考えが吹っ飛んでしまう。
だから、自分が、なにをすきか、とか、
どう働きたいのtか、とか、
どういうのが嫌いなのか、とか、
当事者になったときと、頭で考えているときとで、いうこと感じることが違う、とか、
そういった感情がクルクル変わって、自信がもてないんだ
たぶん汚い感情ときれいな感情と、両方を同時に思うのだ
汚いのが、素直な自分
綺麗なのは「理性的」な自分
感性は素直になりたい
でもそれに振り回されて、自分の役割も社会性も見失うのはいや
だけど、感性に素直になると、ちっぽけでせせこましい自分でしかなくなる
動いて、いろんなことに出くわして当事者となって、それで、実際に感じる感情を、増やしていくしかないんだろうなあ。
そして、醜い感情と美しい理性的な判断の両方が、同時に訪れたら、まず、醜いほうを素直にとってみる
じっくりそれを眺め、考える
それから美しいほうへ転がろう。
その作業を忘れないように。
そうすれば、ほんとはどうか、がわかるのではないか。
このままでは、なにも選べやしない
恋人、結婚、仕事、住むところ・・・
流されていくものだけど、その中でも選ぶことはたくさんある
それを選べるかどうかは、「自分のことがわかっているかどうか」だ。
自分がしたくないこと、について、はっきりとわかっているかどうかで、選べるか、迷うか、が決まるのだと思う。
だから、私は自分のしたくないこと、をわかっていきたいのだけど。
ああ、遅すぎた
高校生だよ、こういうこと言うのは
時間が足りない
もたもたしている時間はない
なにがなんでも動くしかないのだ
手を動かせ
足で歩け
がむしゃらで
余裕のない自分を見せていけ
でも、心に風を通す努力はするのだよ
理想と現実が乖離しすぎて くるしい
自分のベッタベタな感情は、いま、なにをかんじている?