おそれいりますが。

「思想しつつ生活しつつ」。日日是好日。life goes on. 晴れ時々涙。

子が学校でトラブルになったときに、親が「お前は別に悪くない」と暗に思っていてくれたことがとても助けになった

子どもの頃、クラスの大半の人から仲間はずれにされたことがあった。

そのときとても辛く、あとも尾を引いたけれど

 

親の対応で良かったなと思うことがある。

しょんぼりしている私を見て

 

「ほら、みんな小学校から持ち上がりだから、きっと子供の頃からいろいろぎゅうぎゅう家でされてきたんやろう。学校はめんどくさいところだろうしね〜

満を持して2学期からわくわくして通っているドドドちゃんがねたましかったんやろうね〜

めっちゃたのしそうに通っとったもんねドドドちゃん」

とだけ、のたまったのだ。

(中学受験を経て入学したが、4月末に骨折し、6月いっぱい入院し、7月から松葉杖で通い、すぐ夏休みになった、2学期になってしばらくすると仲間はずれに)

 

つまり、

私自身の行動や発言そのものがよくなかった・いじめられる要因になっている、

とかではなく、

あんたが楽しそうで、それができひん人が妬ましかっただけやん(だからたぶん別にあんたわるくないで、たぶんやった人らの気持ちがしんどいだけやわ)

ということである。

おまけに、お前は楽しそうでとてもいいよ〜というニュアンスまでついている。

 

当時2人だけ仲良くしてくれる人がいたので、それについても

「わかってくれとる人おるやん、その2人がおったら、もうええやん」

とも言った。

 

今思えば、私は、ピュアで明るいが、その素直さ故に言っていいことと悪いことがわからない未熟さもあった。

素直さのままで人を馬鹿にしたことを無意識に言ったり、自分が持てる能力を惜しみなく披露しては、それは自分の努力によるものだけだ(しないやつはそりゃできんやろ)と自負していたり、鼻持ちならないところがあったと思う。

 

にも関わらず、親はそういう自分を振り返れ、おまえが間違っているから改めよ、ということは言わなかった。

 

からしたら、あんまり私を守ろうとか深く考えてたわけれはなく、

単に親バカで「こんなうちのいい子が悪いわけない!」というだけであったのだろうが、その親バカは助かったなと思う。

 

もちろんこの経験を経たことで私の自己肯定感は

「自分は同世代とはうまくいかないんだ、なにかを間違えてしまう」とはなった。

 

が、

「自分はだめなんだ」

とはならなかった。

「同世代やほとんどの人とはうまくいかない、でもうまくいく人もいる」

「コミュティやタイミングさえ違えばうまくやれる場所もある」

となった。

 

もしここで親が「あんたこのままじゃ困るよ」といったり、

言わずとも「このコ今後の人生困るだろうな・・・」と思っていたら

それは確実に私に伝わり

「私はだめなんだ」

と思ったと思う。

 

もしそうなっていたら・・・苦しいし、

苦しいけどうまく言語化できないから

ストレス発散行動に出て、なにかが狂っていった可能性があるなと思う。

(もちろんその後の人生でいろいろと躓きはあって、それによる自己効力感(自分は大丈夫、対処できると考える気持ち)の低下はあった。がそれはまた別の経験によるもので、このことが直接的に自分はだめと思うことにはつながらなかったのだ、ミラクル!)

 

仲間外れにされたり、いじめにあうと、

親は先行き不安で、この子のそういうところを変えてやらなきゃ、と思うかもしれないが

それは悪手だろう。

 

親が変えようとしなくたって(どっちみちいつかは手が届かないところにいくんだし)

なにか問題が起きて、

自分で考えることができるようになったときには、

自分で戦っていくはずだ。

そして自分なりの対処方法を見つけていくはずだ。

だってこの子はいい子なんだもの。

わかってくれる人はわかってくれる。

 

そう親が信じてくれることが、力になっていたんだなあ。

30年近く経って気がついたよ。

 

うん、親だけは「我が子が悪いわけない」と親バカでありたいな。

仮にその状況下での行動が悪かったとしても、理由はあるはず、と。

だってこの子はいい子なんだもの。

わかってくれる人はわかってくれる。