この季節は、いつだって、どんな年代にしろ、進路をシビアに見つめなければいけない季節だな、と感じる。
桜が咲く春から新年度が始まる温暖な国である日本において、寒い季節にシビアさが増すっていうのはどうも象徴的だね。
12歳の冬も、15歳の冬も、18歳の冬も、19歳の冬も、次の春からの自分の背景画のために、とても厳しい気持ちで、考え事をしていた。
そして、22歳の冬も、そうなるべきなんだろうか。
クリスマスとかちょっとどうでもいい、といった友人がいますが(笑)
私もちょっとどうでもいい。
生まれて初めて、といっていいくらい、勉強が楽しくて楽しくて。
なんつーかな、これはやっぱり入る学科を間違えたな(笑)
3年間、ほとんどといっていいほど、学問を身に着けてこなかった。
こんなに勉強したいことは広がっているのに。
何をしていたんだろう。
ただし、自分にはとても向き合った。
自分の特性がよくわかった。
なにがすきで、嫌いで、どんな価値観で生きたいのか、自分の弱いところ、ゆらぎ、偏り、自信の持てること。
そういういろいろなことを「サークルやバイトで出会った友人」と[1人で生活する時間」、そして「恋人である彼」が、わからせてくれた。
私はもう親がいつかこの世からいなくなってしまっても、1人で泣きながらも、ちゃんと歩いていこうと思えるはずだ。
この言葉あまり好きでないけど、まさに「自分探し」の時間だった。
だから、無駄ではなかった。
しかし、それにしては高価すぎる時間だった。と思ってしまう。
それを考えるとね・・・進学したい、って途方も無いことだなあ。
進学じゃなくて、地元に転学、って手もあるのか・・・
そう、進学して今の研究室で「研究」したいという意思があるというよりは、「勉強したい」だけ、ともいえるのだし。