おそれいりますが。

「思想しつつ生活しつつ」。日日是好日。life goes on. 晴れ時々涙。

他人の境界を雑に超えてしまった反省と、一方で腹が立つぞとも思った話

ひさしぶりに中学からの友人と喧嘩をした。

(アラフォーになって、夫以外の人と喧嘩をするとは・・・)

内容は、

・私が彼女の相談に対し、彼女の気持ちをトレースすることなく、自分が考える彼女が悩んでいることのボトルネックはどこか、を話したことがありえない

・しかもそのボトルネックというのが、彼女がおかしいと言うように聞こえる

 

たしかに私は、彼女がなぜそれを言ってきたのか、という部分の気持ちをトレースしないで、デリケートなことに土足で乗り込むようなことをしてしまったな、と深く反省はしている。

(専業主婦で育児をがんばっている自負のある人に「育児での今回の件は、ものの見方を変えるといいのではないか」というのはめちゃくちゃ気を付けて言わなくちゃいけないことだと思う)

 

相手の価値観に触れるときは、念入りに言葉を選んで、うんと傷つけないような言い方を考えながら伝える必要がある。

それを率直に言うのは、意図的に傷つけようとしているのと同義であるのに。

私は、何年かに1回、職場の同僚に妙にムカつかれることがあるのだが、それはたぶん上記のようなことをするからなんだよな。

そもそも、自分が相手の価値観に言及できるとおもっているところも、頭が高すぎるよな〜、、、何様だという話よね。気をつけねば。

 

いっぽうで、そのまま彼女と私の発言者と受け手という役割を入れ替えたブーメランとして、

なぜこちらがそこまで踏み込んだ事を言ったのか、

それは真剣に考えてるからだ、

という気持ちの部分は受け取ってもらえないのか、それはそれで失礼ではないか?との思いもあり、それは伝えた。

 

私の考えの前提としては、

 

・人に話した以上、相手から何が返ってきてもいったんは聞いて、我が身を振り返るのが筋では?(そのあとそれはやっぱり違うと受け入れないのは自由)

・自分が話した以上、相手の反応はコントロールできるものではないだろう。

というのがある。

 

そのうえで

 

・それに相手は、形は悪かろうと、真剣に自分のために時間とエネルギーを使ってくれている

 

がある。

 

それを「自分の気持ちと違う、ひどいことを言われた、育児の経験がほとんどない私には言われたくない(私は0才児の親、彼女は小学生と幼児の親)」と怒って、相手を攻撃しはじめるのは、そっちも失礼じゃないか?

私はスタンプ1個で流してもいいことを(LINEだった、文章でやりとりしたのも失策であった)、時間を使って真面目に考えて返したのだが?

まして、芸能人にアンチコメントをするような信頼関係のない間柄の話ではないのに。

失礼をされたら失礼と言っていいのはお互いさまなので、私からも失礼だよと言っておいた。

 

まあでも、私が、丁寧に発言していれば、怒らせなかったので、鶏か卵かということで、私が気をつければいいだけのことでもある。

それはそう。ほんとうにそう!!

 

しかしそれで思ったのだが、

結局彼女は悩んでいるけど、それは要はただ疲れてるだけなのかもな、と。

 

悩みって、行動しないと永遠に悩み続けることになる。

行動するには、結局自分で整理して、自分を振り返って、自分の心の底のなにかからその悩みが出てきているということと向き合うことがどうしても必要になってくる。

相手を変えたいと願う気持ちで悩んでいたとして、その悩みは結局、自分が変わることのほうが消せる。

自分が変わればどうでもよくなったり、自分が変わることで相手の反応が変わるから、結局もともと思っていたように相手が変わってくれたりする。

子育てでも同じ。赤ちゃんだって、こちらの心境にすごく左右されてるのを実感してる。

幼児になればもっとこちらの心境がわかっていくだろう。

 

でも、自分を振り返るのって、エネルギーがいる。

疲労が蓄積しているときは絶対にできない。

 

なので、私が出す回答として正解は、

・悩んでるんだね、というか、疲れてる?なんか今までとちょっと違う感じだよ?

とだけ、言って、

・それがなんでなのかは私はあなたじゃないからわからないんだけど・・・でも今までのあなたの感じと違うってのだけはわかるよ

と、相手の境界を超えることなく、私の感じたことを伝えるに留めるのがよいのかも・・・